人として付き合う 差別問題

最近ニュースで取り上げられている人種問題のこと。私も海外に住み出して27年ほど経ち、日本で生活してる時間より長くなった。アメリカ、香港と住んでそれなりに人種のことでも経験はある。

お花の色が違う様に、犬の種類が違う様に人間にも色んな人がいる。親に授かった命、どれも尊い。どこで生まれたかと言うのは私たちに決められないこと。

私は音楽に携わっているし、色んな国の人が集まるオーケストラという団体でお仕事をしている。作品を作る上でみんな一生懸命だからぶつかる事もある。でも色んな文化の人がいるから生活に幅が出るし、学ぶ事もある。反面教師の場合もある。

私は、人とお付き合いするときに人種でつきあわない。その人個人とお付き合いする。

よく自分の意見が通らなかったり、一時的に傷つけられたり、報道で流される事を鵜呑みにしてすぐさま一定の人種を何の理由もなく攻撃する人がいる。

普段の生活の中で喧嘩の際お国を出して侮辱する人がいるが、それは本当に卑怯な事だと思う。

私はそういう人たちは人種ではなくその人個人として軽蔑する。大体そういう事を言う人はその言葉の中に深い意味を持っていない。一番簡単でわかりやすく攻撃できるから武器として使う。浅はかで薄っぺらすぎる。自分も差別されたから自分もそうやって攻撃するのではずっとその人本人も嫌な思いすると思う。嫌な事があったらそのことについて口論すれば深い傷は負わなくて済む。

私自身も人種差別の言葉をぶつけられた事がある。そんな経験をした人たちは沢山いるだろう。でも決してやっていいことではない。

誰も差別をする人に何も言わないかもしれない。だけど、それはみんな肯定してるのではない。大勢の人が差別用語を発したり暴力に出たりする人自体を恐ろしいと思うから言わないだけだ。

差別をした人もきっと自己解決には達しない。

今起きてる事件の真相は分からないから何も言えないけれど、一人でも多くの人が差別を武器として使わない世の中になって欲しいと真面目に願って止まない。

 

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