時短 short cut

今日生徒のレッスン中に見てて実感した事。

テクニカルなところ。速いスピードで32分音符をクリアに弾かなきゃいけないところで苦労してたので、’’出来ないところをゆっくり部分練習してみて’’とレッスン中に指示した。この生徒かなり弾ける子なんだけど、出来る分だけ焦って弾けないテンポ(速さ)で何度も何度も同じところを間違って弾き直してた。それもどんどんドツボに入り抜け出せない。😅

一度、バイオリンを下ろさせて、お話をした。

’’世の中には時短だと思ってやってる事が実は一生目的地に到達できない遠回りをしている事があるのよ’’

早く上手になりたいからって今の様に弾けもしない猛スピードで100回さらってても一生弾けないまま。(おまけに下手になる練習をしてて悪い癖がついて非常に危ない)

まず弾ける速度まで落とし、徐々に速度を上げていったら案の定3分で弾ける様になった。😄

時間がかかりそうに思えるスピードを落とし、徐々に加速していくと言う方法で3分で目的地に到達。

時短という意味を履き違えると蟻地獄。

少しでもいろんな物を吸収したいのなら面倒で時間がかかりそうな方を選んだ方が確実に到着地点には辿り着けたと言う一例。

時には頭で考えるのと真逆のことが効果を発揮することがある。

今日の時短スポットはこれ。

サラサーテ:スパニッシュダンス マラゲーニャ

 

視野を広く持ち頭を柔軟にすると時短の本質が見えてくる!と言う巻😊

ミュージシャンとお坊さん

この前ズームでミュージシャンとお坊さんは似ているところが多いって話が出た。

私は以前息詰まると荘子(中国戦国時代の宗に生まれた思想家)の本を何回も読んでいた。

最近コロナで自宅に居る時間が増えたらある僧侶の書物を読んだり、YouTubeで2人のお坊さんの説教を片っ端から聴いている。😄

私は今現在無宗教だが、いろんな宗教の興味ある教えは結構真面目に読んだりする。

お坊さんの説法を聞いてると落ち着いてくる。どうして落ち着くんだろうなあと考えた。少なくとも2人のお坊さんは、とても働き者。そして、人を人として見ていて上も下も作らない。ただ教えを請う人たちが必要としているお話を親身にされる。全てに同意見かどうかは別にして、はあ、そう言う教えがあって、そう言う視点で物を見るんだなあとこれがよく勉強になる。🧐 視野が広がる事があって説法を聴くのが好きなのと、聴いてて落ち着けるところが好きなんだと思う。

このお二人は自分の体験談も加えてお話をされる。そうすると人生なんて自然体でよくて不必要な努力をしてよく見せる事もないんだと不思議と体感できる。お話してて、自然じゃないと、お話がつまんなくなったり、気持ち悪くなったりすることある。

そこがミュージシャンと一番似てるかな?私は自分が大事じゃなくて音楽そのものが大事。自分が思った事を伝えられたら、完璧な演奏じゃなかったとしてもオッケー。それが私だからと思えた時から演奏が楽になって、共感して頂ける時もちらほら出てきた。これが私なんだから、嫌いな人がいたら、仕方ないし、その人からも興味があればご意見を有り難く頂く。日々修行だから。

そうだ、日々修行だと言うところも似てる。大抵のお坊さんがYouTubeに出てこない様に、大抵のミュージシャンもYouTubeに出てこない。ましてや日々の修行なんて誰も知らないし、知られなくてもいいと思ってる。コンサートでお会いした時に生でその気持ちがちゃんと自然に伝わるかが大切。その時は正真正銘田中知子が思った音楽じゃないといけない。お坊さんもそうなんだろうな。

もう半世紀右往左往して壁には何回もぶち当たって厳しい批評も受けてきて、これだけでも分かっただけで世界が面白くなってきた。本番弾くのが怖くて一度バイオリンやめようと思った時を考えると生きてくのは辛い事もあるけどいい事もあるな。あっさり言ってるけど、真剣に辛い時は過酷😅

まず、物事を素直に見る事(決して世間の報道を鵜呑みにしろと言ってはいない。むしろその事については真逆の意見だ!)そして時間をかけて音楽に対しての自分の思いを追求していく。これが今心掛けている事。

悟りの窓

昔タクシーの運転手さんに勧められて行った京都源光寺の悟りの窓。しばらくここに正座して見てたけど何もその時は出て来なかった。また行ってみよう。何か見えるかなあ。

人として付き合う 差別問題

最近ニュースで取り上げられている人種問題のこと。私も海外に住み出して27年ほど経ち、日本で生活してる時間より長くなった。アメリカ、香港と住んでそれなりに人種のことでも経験はある。

お花の色が違う様に、犬の種類が違う様に人間にも色んな人がいる。親に授かった命、どれも尊い。どこで生まれたかと言うのは私たちに決められないこと。

私は音楽に携わっているし、色んな国の人が集まるオーケストラという団体でお仕事をしている。作品を作る上でみんな一生懸命だからぶつかる事もある。でも色んな文化の人がいるから生活に幅が出るし、学ぶ事もある。反面教師の場合もある。

私は、人とお付き合いするときに人種でつきあわない。その人個人とお付き合いする。

よく自分の意見が通らなかったり、一時的に傷つけられたり、報道で流される事を鵜呑みにしてすぐさま一定の人種を何の理由もなく攻撃する人がいる。

普段の生活の中で喧嘩の際お国を出して侮辱する人がいるが、それは本当に卑怯な事だと思う。

私はそういう人たちは人種ではなくその人個人として軽蔑する。大体そういう事を言う人はその言葉の中に深い意味を持っていない。一番簡単でわかりやすく攻撃できるから武器として使う。浅はかで薄っぺらすぎる。自分も差別されたから自分もそうやって攻撃するのではずっとその人本人も嫌な思いすると思う。嫌な事があったらそのことについて口論すれば深い傷は負わなくて済む。

私自身も人種差別の言葉をぶつけられた事がある。そんな経験をした人たちは沢山いるだろう。でも決してやっていいことではない。

誰も差別をする人に何も言わないかもしれない。だけど、それはみんな肯定してるのではない。大勢の人が差別用語を発したり暴力に出たりする人自体を恐ろしいと思うから言わないだけだ。

差別をした人もきっと自己解決には達しない。

今起きてる事件の真相は分からないから何も言えないけれど、一人でも多くの人が差別を武器として使わない世の中になって欲しいと真面目に願って止まない。